商品化された作品

トキヲクム

〈2022 優秀賞〉

香りを選び、形を重ね、これからの時間を組み立てていく。
「トキヲクム」は、そんな静かな所作のなかに
自分自身と向き合うひとときを宿したお香です。
この小さなブロックの中には、
いくつもの壁に直面しながらも歩みを止めなかった
開発者たちの軌跡が息づいています。

  • トキヲクム イメージ
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お香と時間。その結びつきから始まった提案

コクヨデザインアワード2022で優秀賞を受賞した「トキヲクム」は、お香を組み合わせながら、自分がこれから過ごす時間を“組む”ように楽しむプロダクトです。香りをただ受け取るのではなく、使い手自身が選び、積み上げ、時間を設計する。その発想は、受賞時から強い印象を残していました。

このアイデアの出発点をつくったのは、受賞者であるmrk(マーク)の武市美穂さん。普段はブランディングや体験設計に携わる武市さんは、「体験設計で学んだことをプロダクトの領域にも活かせるのでは」と考え、コクヨデザインアワードへの応募を決めたといいます。

武市美穂さん

作者 mrkの武市美穂さん

2022年のテーマは「UNLEARNING」。そこから「トキヲクム」へとつがなる着想の原点になったのは、武市さん自身が以前からお香に惹かれていたことでした。調べていくなかで、かつてお香が時間を測るために使われていたことを知り、お香と時間には深い関係があると気づきます。そこに、コロナ禍で人々の時間の使い方が大きく変わっていった社会状況が重なりました。

mrkの上田和実さんは、当時のことを「急に生まれた『おうち時間』によって、人々の時間の価値観そのものが変わろうとしていた」と振り返ります。だからこそ、自分の過ごす時間を時計で管理するのではなく、お香を通して捉え直すプロダクトができるのではないかと考えたのです。

上田和実さん

作者 mrkの上田和実さん

「やりたいけれど、できなかった」領域に舞い込んだ企画

コクヨではまず、製造を担うパートナー探しからスタートしました。コクヨの藤木武史は、何社ものお香メーカーに打診したものの、小ロットでは難しいと断られることも少なくなかったと振り返ります。そんななかで松栄堂とつながれたことが、このプロジェクトの大きな転機になりました。

藤木武史

商品開発を担当したコクヨの藤木武史

300年以上にわたりお香をつくり続けてきた松栄堂にとっても、今回の作品は「非常に納得感のある提案だった」と振り返ります。松栄堂の辻光一郎さんは、コロナ禍以降、お香が宗教的な文脈だけではなく、生活のなかで香りを楽しむルームフレグランスとして受け止められる流れが強まっていたと語ります。香りによって時間を切り替えるという発想は、まさにその時代感覚とも重なっていました。

辻光一郎さん

お香の製造を担った松栄堂の辻光一郎さん

同時に辻さんにとって「トキヲクム」は、以前からやりたいと思いながら、自社だけではなかなか形にできなかった領域でもありました。既存のお香は、基本的にメーカーが提案する香りをユーザーが受け取るものです。しかし「トキヲクム」は、使う人が自分の感覚で香りを組み合わせ、時間を自分で組み立てる。そこに、松栄堂としても挑戦したかった体験設計の可能性がありました。

最大の壁は「燃え移る」構造を安全に実現すること

製品化にあたり、辻さんが最初に挙げた課題は安全性でした。細いお線香ですら、安全に、安定して最後まで燃え切らせることは簡単ではありません。まして「トキヲクム」は、塊状のブロックが次のブロックへと燃え移っていく構造です。日常生活のなかでこれだけの塊を燃やすこと自体ほとんど前例がなく、途中で消えてしまわないか、逆に燃えすぎないか、灰が飛び散ったり火種が落ちたりしないかといったリスクと向き合う必要がありました。

松栄堂の藤本悌志さんも、最初は見た目の美しさや面白さに惹かれながら、「この形は本当に作れるのか」と実現への高いハードルを感じたといいます。ブロックは燃焼の過程で縮むため、ブロック同士の接地面が少なくなり、燃え移りを難しくします。「通常のまっすぐなお線香とは、考えるポイントがまったく違った」と話すように、松栄堂の既存商品に「燃え移る」ものはなく、まさにこれまでの知見の延長だけではたどり着けない領域だったのです。松栄堂の研究室では、お香を乾燥前に凍らせてみる、ブロックの穴の位置や大きさを調整するなど、さまざまな試行錯誤が重ねられました。

藤本悌志さん

お香の製造を担った松栄堂の藤本悌志さん

突破口となったのは形状の見直し

プロジェクトの大きなターニングポイントとなったのは、形状の見直しでした。当初は、今よりも立体的なブロックを前提に開発が進んでいたといいます。しかし、「燃え移り」の課題がなかなか解決しないなかで、mrkから「クッキー型の形状ならどうか」という提案が出ました。

「それぞれのブロックが異なる“時間”を表すものとして伝わるよう、できるだけ一つひとつ形や色を変えたかった」。そう語るように、コンセプトの核となる「時間を組む」という体験設計を守ることは大前提。そのうえで、クッキーのように型を抜く方法であれば多様な形に成形しやすく、かつ立体的なブロックよりも燃え移りしやすいのではないかと考えたのです。

クッキー型の試作品

mrkの武市さんが紙粘土を用いて作ったというクッキー型の試作品

受賞時の案に固執するのではなく、コンセプトの核を守りながら実現可能な形へと更新していく。その判断が、「トキヲクム」を現実の製品へと大きく近づけました。

もちろん、難しかったのは形だけではありません。辻さんは、「もし香りにこだわらなければ、もっと早く完成させることができたかもしれない」と率直に語ります。しかし、「POSITIVE」や「REFRESH」とお香に名付ける以上、その印象に寄り添う香りでなければ意味がありません。香り、形、安全性。そのすべてが成立しなければならなかったからこそ、この開発は非常に難易度の高いものになりました。

開発の様子

製品として完成するまでの道のりを振り返るmrkの上田さんと松栄堂の辻さん・藤本さん

香りづくりでは、松栄堂の藤本さんが各ブロックを「単体でも不快ではなく、組み合わせたときに初めて全体として完成する香り」として設計しました。ブロックごとに香りが強すぎると、その一つだけが前に出てしまう。反対に香りが弱すぎては、成形に使うタブ粉の木質な香りが前に出てしまう。どの組み合わせで焚いても破綻しないバランスを探る作業は、まさに粘り強い試行錯誤の連続でした。

試作の数々

松栄堂の藤本さんによる試作の数々。何パターンもの香りを調合しながら、理想のバランスを追求しました

さらに、体験を支えるのは中身だけではありません。パッケージづくりでは、コクヨの本間愛彩が「5種類の異なる形や色が並ぶことで、説明しきらなくても一目で『これは組み合わせるものなのだ』と視覚的に伝わることを大事にした」と語ります。ぱっと見たときに組み合わせ方が想像できること。取り出しやすく、壊れにくいこと。使い始める前の不安をできるだけ減らすこと。そうした細やかな配慮もまた、「トキヲクム」の体験を支える大切な要素になっています。

本間愛彩

商品開発を担当したコクヨの本間愛彩

誰もあきらめなかったからこそ、越えられた

2年の歳月を経て、製品化を成し遂げた「トキヲクム」。開発期間中はさまざまな壁に直面しながらも、誰一人弱音を吐かなかったといいます。松栄堂の辻さんも、お香のプロとしてミッションを託された以上、応えなければ意味がないという強い想いがあったと振り返ります。今回のプロジェクトを通して、自分たちの領域を超える課題に向き合うときこそ、チームの力が引き出されることを改めて実感したそうです。

アワード受賞作品として、コンセプトの核を守りながら、現実的な技術や品質へと落とし込んでいくことで、初めて人の手に渡る製品となる。「トキヲクム」の製品化は、その当たり前のことの難しさと尊さを、改めて教えてくれるプロジェクトとなりました。そして何より、前例のない挑戦を前にしても誰一人あきらめなかった。その事実こそが、この小さなブロックの中に込められたもう一つの価値なのかもしれません。

薫習館

松栄堂が京都で運営する、日本のお香文化を広く発信するための施設「薫習館」にて

mrkの皆さん

「トキヲクム」作者のmrk(左から武市 美穂さん、上田 和実さん、小林 諒さん)